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2018年12月15日 (土)

東洋一の選鉱場、『神子畑選鉱場跡』へ行く

兵庫県養父市の『明延鉱山探検坑道』を見学したあと(記事)、隣の朝来市にある『神子畑(みこばた)選鉱場跡』へ。
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神子畑選鉱場は戦国時代から大正時代まで鉱山として栄えていましたが、閉山後は明延鉱山で採掘された鉱石から目的とする金属を取り出すための選鉱場となりました。

山の斜面を利用して22段のひな壇状になっており、重たい鉱石を上から下へ作業工程を流すことで効率的な選鉱ができる構造に。
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規模と産出量は東洋一と謳われ、夜中も稼働する様子から不夜城とも言われたり。

その後、明延鉱山閉山とともに神子畑選鉱場も閉鎖され、今では建物も解体され基礎部分と周辺施設のみが残っています。

ひな壇状の基礎の横に、ケーブルカーのように選鉱場を上下に行き来したインクラインの軌道と操作室がある。

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実際に明延鉱山で採掘された鉱石を触りながら、ガイドさんが解説してくれる。
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現存してる基礎部分には、城の石垣みたいに大きさや形がまちまちな石が重なっていますが、これは明延や生野で掘った石なんでしょうかね?
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明治5年に近隣にある生野鉱山に建てられた外国人技師ムーゼの宿舎だった建物。
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一時は皇室財産となったこともあり、屋根瓦には菊の御紋が入っている。
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その後、神子畑に移築され、診療所として使われていたらしい。
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今では神子畑選鉱場の資料館になっている。
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選鉱で出た廃水は、細かい鉱物粒子が混ざったスラリー状の液体になり、これを脱水濃縮するろ過装置がシックナー。
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このシックナーは直径30mあり、「百尺シックナー」と呼ばれていました。

神子畑選鉱場も明野鉱山とともに繁栄し日本の産業を支えましたが、時代の流れとともに廃墟に。

この栄枯盛衰を目の前で感じると、なんだか感慨深い。

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